魔女っ娘妖精物語 あっぷるマリィ
第8話「林檎ヶ丘の攻防」 Bパート
原案：九条組 小説化：蓬＠九条組
「これは……盆踊りではない。実態は合戦とも言うべき奇習……」
赤城村議の言葉は、夏人が薄々感付いていた最悪の事態を肯定するものでした。
「死人も出る……」
いや、最悪以上でした。
「この村では年に一度、町を二分する議題を巡り、福軍と狐軍に分かれ、合戦で決着を付けるのです。そして、勝利した側の主張が通る……」
「………………」
夏人が出る言葉も無く戦慄していると村民達から、おおお、と軽い驚きの声が漏れました。夏人も村民達の視線の先――櫓を見ました。開会宣言が終わり、お多福の面を着けた村長はクレーン車のアーム先端のバケットに乗り移りつつありました。隣にいた役場職員のお姉さんは狐の面を取り出して着けると村長と反対方向を向き、櫓の頂上の足場から身を躍らせました。そして猿の様な身軽さで手だけを使って櫓をスルスルと降り、数秒もせずに櫓の中ほどまで下降して来ると、そこで鉄パイプを強く蹴り横に大きく跳躍、狐の面の集団の近くに着地しました。下降しつつあるクレーンのバケットの中で、一緒にバケットに乗り込むと思っていたらしい村長が驚いて手を伸ばしながら何事かを言いますが、お姉さんはそちらを向きもせず狐の面の集団の中に入って行きました。
「す、すげえ……」
「皆川君、皆は彼女の運動神経に驚いているのではありません」
「……？」
「村長に仕える役場職員の身でありながら、堂々とこちら側に来た彼女の度胸に驚いているのです。
見給え、彼我の数の差を……」
夏人は、あちらのお多福の面の集団の数と、こちらの狐の面の集団の数を見比べ、改めて愕然としました。比率はおよそ６対１程度。圧倒的なまでにお多福面の集団が多いです。
「テーマにもよるけど、毎年こんな感じだよ。村長とお婆ちゃんがいる福の方が凄く多くなるの」
「あの農薬をやめるって奴、これしか、これしかいないのか……。それで合戦って……」
圧倒的な劣勢を前に、早苗が能天気に言い、夏人が呻く様に言いました。
「私、去年まではお婆ちゃんに連れられて、あっちにいたんだよ。こっちに付くのは初めて。何でこんなに数が偏るんだろうね」
「一言では言い表せない事情があるんだよ。そう、大人の事情が……」
「そうだ、後で教えてくれるって言った大人の事情、まだ教えてもらってないよ」
「あ、ああ、そうだったね。
うーん、分かりやすく説明すると……」
夏人は早苗に、何故村民の大多数が農薬の変更を拒むのかを説明しました。最悪、死ぬかも知れないと頭の片隅で思いながら、自分が知る限りの事を懸命に伝えました。自分よりも生き残る確率が高いであろう早苗に、後世を託すくらいの思いで……。
あの農薬の製薬会社は、林檎ヶ丘村も含む選挙区から選出されている県議会議員の会社である事。その県議は非常に大きな影響力を有する実力者である事。それ故、この村があの農薬を共同購入を止めた場合、県議が報復として県庁担当部局へ圧力を掛け、県から林檎ヶ丘村への各種の交付金や補助金が大幅に減額されてしまう危険性がある事。そしてそれは、村の財政が困窮し、農家への補助金や、公共工事に注げる金額の大幅な減少を意味する事。僻地故に農業と公共工事しかまともな産業が無く、１００％公共工事だけで生計を立てている者も多い林檎ヶ丘村にとって、それは生命線を断たれるに等しい事でした。お多福の面の者達は、例え発癌性が疑われようとも、今と同じ農薬を使い続けないと、直接的にせよ間接的にせよ、生活に支障が出る者達なのでした。
夏人がそこまで説明すると、赤木村議が補足を加えました。
「それだけではありません。その様に、農薬の変更が生活基盤の崩壊に繋がりかねない者以外にも、立場上や体面上の理由で、あちら側に付かざるを得ない者は多いのです……。見給え、村長のあの腹を」
早苗と夏人は、赤木村議が指し示した先にある村長の腹を見ました。前に大きく張り出し、正面から見た幅よりも、横から見た幅の方が広いんじゃないかという位です。
「足繁く村内のあらゆる団体の会合に出向き、夜毎に酒を酌み交わし、友情を築き、コネクションを作り、しがらみを張り巡らせ、村中を網羅する広大深遠な人脈を維持しているのです。長年の星の数ほどの宴席が、村民の磐石な支持と、あの腹を築き上げたのです。あの腹の厚さは、我々が立ち向かおうとしている壁の厚さ……」
「大体こんな感じなんだけど……、早苗ちゃん、分かった？」
「全然わかんない」
「…………ぅぅうぅ……」
「なんで泣くのー」
夏人と赤木村議の説明を、早苗は全く理解出来ませんでした。
「中学生には難しかったですかね……。まあ、あと５年か１０年もすれば、きっと分かる様になるでしょう」
因みに５年どころか１５年経っても、この話を理解するレベルにまで早苗の知能が伸びる事はありませんでした。
「ところで皆川君、武器は……」
「ゲバ棒と、その、一応、火炎瓶」
夏人は、肩掛け鞄の中に詰まった火炎瓶をおずおずと見せました。すぐに火炎瓶を投げたがる学生達を赤城村議はいつも戒めていたので、怒られるのかと思いましたが、そうではありませんでした。
「今宵ばかりは使うなとは言いません。死なない事だけを考えなさい。私か早苗さんの側から離れない様に」
「は、はいっ……」
「大丈夫だよ。死んだら灰はうちのリンゴ畑に撒いてあげる。そしたら夏人くんはリンゴになって、ゆくゆくは全国の消費者に美味しく食されるの」
「勝手にエコサイクルと物流に乗せないで！ 両親の所に返して！」
「えー。
じゃあ、大怪我して再起不能の寝たきりになったら、老衰で死ぬまで私が介護してあげる。もちろんシモの世話も含めて。キャッ♥」
「ごめん！ そのシチュエーションマニアック過ぎて全然嬉しくない！」
「うわーん夏人くんが私のシモの世話を拒絶する〜〜〜」
「ああっ何を叫びながら走り出すか！？ 俺の名誉を毀損どころか爆発炎上するううぅ！」
早苗がその場から駆け出し、夏人が命がけで後を追いましたが全然距離が詰まりません。
それを見ている赤城村議の横に歩み寄るハゲた爺様がありました。
「おお沼畑殿。今年は狐軍側に来ましたか」
「ホッホッホ、若い者はいいですのう……」
公冥党の沼畑村議でした。少なくなった歯を見せて、ガンジーの様な超越笑顔で早苗達を見ています。
「親村長派の３人――土矢殿、桑田殿、照島殿があちら側にいて、社怪党の宇鉄殿は例年通りこちら。議員は半数ずつに分かれましたな。
しかし、主だった団体が殆どあちら側にいるのは例年通り……。婦人会多数、母の会多数、老人会多数、小学校児童会十余名、商工会数名、リンゴ販売組合多数、土矢建設作業員多数、大東亞槍術会十数名、戦略野球隊数名、それらの団体員の家族、その他諸々……。
それに比べて、こちらは、役場職員組合２名、中国人妻解放戦線２名、村外の会社に勤める者数名、中学校長、親があっちに居るからこっちに来た反抗期の中学生……」
「ホッホッホ、若い者はいいですのう……」
赤城村議が不利な状況を分析しましたが、沼畑村議は相変わらず早苗達を見て微笑んでいます。流石仏教徒だけあって落ち着き払っているのか、それとも年寄特有の同じ事を何回も繰り返す習性なのかは分かりません。
村議二人がそうしている間に、夏人が置いて行った鞄の所に男子中学生が一人現れました。中学生は蛇行して走り回る早苗達を数秒見た後、火炎瓶を一つ手に取り火をつけて投げました。
「ギャー」
「さ、早苗ちゃん！？ どこから火炎瓶が！？」
夏人の前を走っていた早苗が、突然炎上して地面を転がりました。とにかく消そうと、夏人が消防団の作業着を脱ぎながら駆け寄ると、それよりも早く赤い光弾が横から飛来し早苗ごと弾き飛ばして火を吹き消しました。光弾が飛んで来た方を夏人が見ると、陽炎が立ち昇る両手を前に突き出している赤城村議がいました。そこから少し離れた所に、夏人の鞄を弄っている男子中学生が見えましたが、今は誰が火炎瓶を投げたかよりも安否確認が先と思った夏人が早苗の方を見ると、既に立ち上がっていて、僅かに灯油と残り火が付着する瓶の破片を投げる瞬間でした。その瓶の破片は吸い込まれる様に男子中学生に直進し、彼の手の中にあった２本目の火炎瓶を粉砕。
「ギャー」
今度は男子中学生が炎上しました。
それを見た沼畑村議が合掌して念仏を唱えると、男子生徒の足元の地面がボコリと落ち込み、生き埋めにして火を消しました。
早苗と夏人が地面を掘り起こすと、坊主で色黒のいかにも野球部員然とした男子中学生が出て来ました。
「ひどいよ部長ー」
「走ってるの見ると、野球部員としてつい当てたくなってなあ」
「（どういう野球だ……。）早苗ちゃん、この子は野球部の部長？」
「そうだよ、野球部長で中学校総代で生徒会長で級長なんだよ」
「それは凄い……。優秀なんだね」
「いや、各学年に生徒が２〜３人しかいないから、そうでもないな。
来年は白林もそうなるんじゃないかな」
「え！？ 早苗ちゃんが学校総代に？ 大丈夫なのか、それは？」
「あ、校長先生」
早苗が夏人の背後の方角を指差しました。夏人が振り返って早苗の指す先を見ると、狐の者達の中に、紫のジャージにネクタイをしてサンダルを履いたパンチパーマの中年男性がおりました。夏人がその奇異な格好に見入っていると、頭の上を光る物が２つフッっと通過して行き、
「ギャー」
今度は校長先生が炎上しました。
「あ、やべ。先生ジャージだから俺らよりよく燃えてるな」
「凄い凄い。溶けるみたいな燃え方だよ」
「ネクタイも同じ燃え方してるな。あのネクタイ、シルクとかじゃなくてナイロンだな」
校長先生は、周りに居た人が踏んだり叩いたりして消火されました。
「今長先生、こんばんわー」
「こんばんわッス」
「おお野球部のみんなか、こんばんわ」
「……あの、何で３人とも燃えても割と平気なの？」
「学校の防空訓練で毎週ナパーム弾使ってるんだもん。灯油くらい平気だよ」
「ガソリンとかは流石に効くけど、灯油じゃあなぁ」
「見よ、私は生徒達をこんなに素直で健やかに逞しく育てているのに。県の教育委員会は私を評価しようとせんのだ」
その頃、福の軍勢の中では、開始の号砲に使う猟銃の準備に手間取っていました。
「助役、それは弾じゃなくて座薬だべ」
「その通りで御座います」
「大丈夫け？ やっぱミスコンテツトの時の打ち所が悪かったっぺか？」
「その通りで御座います」
「しっかし、あやめちゃんが向こう行っつまうとは予想外だったべ。
これで、３人、いんや４人しかいない大学出の人間、全部あっち行ってしまったっぺ」
「その通りで御座います」
村には、大学を出た人間は赤城村議・中学校長・役場のお姉さんの３人しかいません。それに現役大学生である夏人を加えた４人を、変な学歴信仰のある村長は過剰に恐れていました。
因みに、村には小学校と中学校が一つずつあり、教職員は大卒なのですが、中学校長以外は村外在住なので仕事の時以外は村にいません。公立小中学校は通常、学校の施設自体は市町村の物ですが、教職員は都道府県から派遣されて来るのです。
「大学つうたら学士様だっぺ。オラ達には想像もつかねぇ教育を受けてるんべ。考えるだけでも恐ろしいべ」
「その通りで御座います」
そうこうしている所に、人の群れの僅かな隙間を縫う様に、地面に水平に火矢が飛んで来て、助役が手にした本物の弾丸に当たりました。
弾丸が暴発し、助役が血飛沫を上げながら倒れ伏すのが、狐軍側の早苗と夏人にもはっきりと見えました。役場職員のお姉さんがフライングで火矢を放っていたのです。
狐の者達も、お多福の者達も、その下克上で不意打ちなサプライズに、どっと笑いました。
（ヒィっ！ 笑ってる！ こいつらあれで笑ってる！！ しかも味方まで！！）
村外者の夏人にとっては、心臓が凍る異様な光景でした。
弾丸の暴発が済し崩し的に開始の号砲と見なされ、遂に合戦が開始されました。しかし真っ向からの突撃が開始される様子はありません。
「稚児海胆が来るぞ！」
「ややうに？」
宇鉄村議が叫んだ言葉の意味が分からない夏人は早苗に聞こうと思いましたが、奇妙な風切音が聞こえてきたので口をつぐみ耳を澄ましました。
……ブーン、ウーン、ウーン、ブーン……
音に、人間の叫び声が混ざり始めました。
……ブーン、ウーン、オギャアー、やめてー、ウーン、ブーン、アアギャアー、お義母さんやめてェー……
その音の発生源は、福軍の頭上でした。多数の老婆達が銀色で突起だらけの何かに、紐を付けて頭の上で振り回しています。それぞれの老婆には、その行為を必死に止めようとしている若い女性がまとわり付いていますが、ある者は老婆に蹴り倒され、ある者は突起だらけの何かをぶつけられ、まるで無力です。
振り回され、十分な速度に達した突起だらけの何かは、一斉に狐軍に向かって投げられました。
「上から来るぞ！ 気を付けろ！」
宇鉄村議が再び叫び、突起だらけの何かが降り注いで来ました。それは無数の刃物の塊で、ア゛ー、ギャア゛ー、と泣き叫びながら落下して来ます。大半はそのまま地面に落ちましたが、何個かは狐軍側の人間に当たり傷を負わせました。
「役場の窓際係長と姉ちゃんがやられたぞ！ 役場職員組合、壊滅！」
夏人は目の前に飛んできた突起だらけの怪物体をすんでの所で避け、地面に転がるそれを間近で見て正体を悟りました。それは、無数の刃物を包帯で括り付けられ、海胆の様な突起だらけの球となった赤ん坊でした。
小学生以下は金属製の刃物の使用が出来るという、この奇祭のルールの一つを応用した業でした。この恐るべき業を繰り出しているのは、林檎ヶ丘村母の会。元々は、数十年前に井戸端会議から発足した、幼い子を持つ母親達の相互扶助の為の集まりでしたが、子供が成人後も結婚後も篤い友情で結ばれた母の会はそのまま存続。しかし、元来の会の閉鎖性に加え、徐々に村外の人間が嫁いで来るケースが増えて姑世代と嫁世代での対立が激化した事もあり、母の会は新たな世代の若い母親を会員に加える事なく、当初の会員構成を頑なに守りました。そして、「母の会」の名を冠したまま、実態は組織的に嫁いびりを研究・実践する村内有数の武闘老婆集団となり、会員の大半に孫や曾孫が生まれる現在に至っても尚、強い力を有しています。その母の会が放つ狂気の業「稚児海胆」は、毎年の盆踊りの幕開けを真っ赤に飾るのでした。この業は、闘争心と嫁憎さの合計が、孫可愛さを大幅に上回って初めて可能となる至難の業として、後世に語り継がれる事となりました。
「な、何だこれは！？ 赤ん坊に刃物が付いている！！」
「私も３歳の時にお婆ちゃんに投げられたのを覚えてるよ。２歳から前は覚えてないんだけど」
「な、ななな、投げ！ 投げ……」
「お姉ちゃんは２歳の時にこれで大怪我して、それで背があんまり伸びなくなったり喋らなくなっちゃったんだって」
「な、何だって！？」
姉は、早苗より２歳上でしたが昔から妙に背が低く、極端に無口で、いつも見えない何かに怯えていました。それを夏人は、彼女自身が持って生まれた性質と、厳し過ぎる祖母の抑圧が原因だと思っていました。しかし今の早苗の言葉が正しいのならば、この奇祭が彼女の心身に、回復不能な深い傷を負わせていた事になります。
「次は小学校児童会が来るぞ！」
稚児海胆が降るのが終わると、また宇鉄村議が叫びました。
「小学校？」
「そうです。中でも刃物を持った小学校高学年は脅威……」
そう言いかけた赤城村議が靴の裏に違和感を感じて飛び退くと、地面からは鋭利な刃物の先端が生えつつありました。刃物は一瞬動きを止めたかと思うと、地面が崩れて穴が開き、小学校高学年と思しきお河童頭の児童が出て来ました。
「あ、梅ちゃんだ、おりゃああ！」
「潰せオラアァ！！」
まだ上半身しか穴から出て来ていない児童に、早苗と野球部長が竹槍と金属バットで容赦なく襲いかかりました。しかし、児童は垂直に跳び上がり回避し、二人の攻撃は穴の中に控えていたらしい別の誰かに当たりました。
児童はそのまま、攻撃直後で前のめりになっている早苗の背中に降り立ちました。
「白林、動くなっ！」
野球部長が金属バットをフルスイングしましたが、児童は再び素早く跳んで避け、そしてそのまま、夏人と赤城村議の方に向かって来ました。
夏人は、その小学生の液体窒素の様に冷たい眼が、穴から出て来て以来、自分と赤城村議だけを捉えているのに気付いていました。たった今、早苗と野球部長の攻撃を避けていた瞬間さえ、眼だけは夏人達を凝視していました。
「さ、早苗ちゃん、こいつは……？」
「小学校の児童会長で村長の孫だよ。でも村長に全然似てないから、頭良くて強くて人情味ないんだよ」
早苗は、穴から出て来る者を見ながら答えました。児童会長の後から出て来たのは、暗い黄色・緑・紫のニッカボッカを着た少々ヤンキーっぽいガタイの良い兄ちゃん３人でした。黄色は最初の攻撃を児童会長の代わりに受けていたので、既に動きません。
「何？ そっちも小学生？ 育ちすぎでしょアレ！！」
「いや、彼等は土矢建設の土木作業員です。昨日までの内に、この広場に地下道を造っていたんでしょう」
夏人は更に何か言おうとしましたが、児童会長が夏人と赤城村議に、作業員が早苗と野球部長に接近していたので、その暇はありませんでした。
児童会長は刃渡り40cm程の牛刀を手に、まず夏人に向かって来ました。それを見た赤城村議が夏人の前に割って入り、力を込めて手を握ると、数メートル以上離れた児童会長の牛刀の刀身が、あの日の火炎瓶と同じく砕けました。しかし、児童会長は怯まず、口元をニヤリと歪ませました。
（しまった！）
赤城村議はその意図を悟りましたが遅過ぎました。児童会長は眼前で落下しつつある牛刀の破片群の前に両手を構えると、十本の指で破片を次々に弾きました。素手による箏演奏で鍛えられた指力で射出された金属片が、機関銃の様に夏人と赤城村議を襲いました。赤城村議は手から衝撃波を出して破片を弾き飛ばし、夏人は地面を転がって必死に避けました。
「うわだだだだ！」
夏人は何発か被弾しましたが、急所に当たらない限りは致命傷となり得ない攻撃でした。そして金属片の射出が止まったのに気付いた夏人が地面に伏せながらも顔を上げた時、児童会長は赤城村議の放った光弾をジャンプして回避しながら夏人の方へと向かい来る最中でした。児童会長は夏人の眼前に着地すると新しい牛刀を取り出しました。刺されるのか――そう思い怯む夏人の横を児童会長はスッと何事も無く通り過ぎ、再び赤城村議の方へ向き直りました。
赤木村議が鎌と槌を取り出しました。それは赤魔術の呪術道具でした。因みに盆踊りのルールに抵触しない様に、鎌の方は刃が潰してあります。
（先生、本気だ……）
そこまでこの小学生は脅威なのかと、まだ地面にへたり込んだままの夏人は改めて戦慄しました。
しかし、児童会長と赤城村議が再びぶつかる前に、早苗と野球部長が割り込んで来ました。夏人が見ると、土木作業員達は既に倒れていて、その周囲には凶器に使われたのか野球のボールやベースが散乱しています。中学生２人が、成人の現役肉体労働者２人を、この僅かな時間で倒してしまっていた事に夏人は驚きました。
早苗と野球部長を見た児童会長は二人の方へと向き、赤城村議はこの場は早苗達に任せる事にして退きました。
野球部長と早苗が先に仕掛けました。数歩先行する野球部長が次々に硬式ボールを児童会長に投げ付け、後ろから早苗がバットでボールを打ち込みます。速度で勝る打球が、投球にフェイントとして織り交ぜられ、児童会長は少しずつ後に下がりながらそれを避けます。しかしこのままでは不利と判断した児童会長は、瞬間的に前進し、野球部長の目前に迫りました。野球部長と児童会長が至近距離で斬り結び始めます。武器が金属バットと、それより機動性と切れ味で上回る牛刀である事もあり、至近距離戦では児童会長に分がありました。１秒に２本程のペースで野球部長の体に裂傷が走ります。不利を悟った野球部長は、自分の本領である戦略野球に引き戻すべく、空中にボールをばら撒きました。そして後ろに飛び退きながら、自分と児童会長の間を舞うボールを狙いバットを振るいました。その一振りは一度に二つの球を捉えて飛ばし、一つは児童会長の右耳を掠めて飛んで行き、もう一つは児童会長の鼻を直撃する軌道に乗りました。児童会長は眼前に牛刀を縦に構えてそのボールを両断し、そのまま野球部長へ斬り掛かろうとしました。しかし再びカンと金属バットの音が響き、打球が児童会長の右手首に当たって牛刀が落ちました。速過ぎる、この短時間に２回もスイング出切る筈が無い――そう思った児童会長が見たのは、左打ち直後の姿勢の野球部長でした。野球部長は最初に右打ちでスイングした直後、握りと軸足を左右反転させて間髪置かずに左打ちに移行したのでした。それは、更に第三撃が右打ちで繰り出され得る事を意味していました。次の打球に備えるべく左手で３本目の牛刀を抜きながら、野球部長の動きを凝視する児童会長の視界の端に、前進する竹槍の先端が映り、横から早苗が突撃を掛けて来ているのが推測されました。しかし、走る人間よりもバットで打ち出される球の方が圧倒的に速いので、早苗よりも野球部長の打球への対処が先です。果たして、その３回目のスイングによる打球を児童会長は左手の牛刀で又も真っ二つにしました。それと同時に脇腹に竹槍が食い込んでいました。またか、速い、速過ぎる――再びそう思いながら児童会長は、牛刀と半球になったボールをその場に残して竹槍ごと地面を転がって行きました。
痛みを堪えながら身を起こした児童会長は、林檎ヶ丘中学校戦略野球部の業の奥深さを思い知りました。自分の傍に転がる竹槍を握る者は誰も居らず、竹槍が来た方向にはバットを振り抜いた姿勢の早苗の姿がありました。竹槍は早苗が持って突進して来たのではなく、バットで端を打って矢の様に射出されていたのです。児童会長の目前で野球部長が攻撃を連続で繰り出し続けたのは、児童会長の目を引き付け、更にボールを打つ音と竹槍を打ち出す音のタイミングを一致させ、竹槍の射出を悟らせぬ為でした。
「鳶ィ」
児童会長が初めて声を発しました。竹槍の一撃は鎖帷子に阻まれ致命傷にこそなりませんでしたが、横隔膜や肺への衝撃は、児童会長の声を一時的に潰れたダミ声に変容させていました。村長後援会のテーマ曲「箱物夜想曲」や「補助金ロックンロール」、「口利きアフロビート」を筝で弾き語る時の美声は、見る影もありませんでした。
児童会長の声と同時に、倒れていた３人の土木作業員が弾かれた様に起き上がりました。あの一声だけで意味を理解したのか、３人とも出て来た穴へと撤退を始めます。しかし、どこかしら怪我をしているらしく全員歩き方が変です。児童会長も立ち上がりそれに続き、４人が穴の中へと消えると、追撃を妨害する為か中から煙が出て来ました。何か燃やしたのだろうかと、早苗や夏人達が一瞬煙に気を取られた時、煙の中から光の粒が飛び出し赤城村議と夏人に向かいました。赤城村議はそれを鎌で弾き飛ばしましたが、さっきから地面に座ったままの夏人は反応出来ず眉間に直撃を受けました。
「ぐあっ！」
夏人は思わず顔を押さえて悶えました。何だこれは何だこれは――恐る恐る眉間に刺さった物を抜いて見ると、小さなガラスの破片でした。恐らく、砕かれた牛刀の破片を弾き飛ばしたのと同じ様に、あの煙の中から指で射出された物でしょう。夏人の眉間から血液がダラダラと垂れていました。もし、あとほんの何センチかずれていたら目に当たっていたと思うと、夏人の全身が震えました。そこで夏人は、右足と左足で震え方が違う事に気付きました。右足があまり動かないし、動かそうとしても動き方が変でした。
「夏人くん、アキレス腱切られてるよ」
「でも殺されなくて良かったな」
「え？」
歩み寄って来た早苗と野球部長に言われて初めて、夏人は右足の流血と惨状に気付き、さっきから立とうとしても立てなかった理由を理解しました。児童会長が夏人の横を過ぎる一瞬の間に与えていた傷でした。余りに鋭く、余りに一瞬の斬撃であったため、今の今まで何ら自覚も痛みもありませんでしたが、認識すると同時に頭から血が引き、足の傷からは痛みが襲って来ました。
「いっ……いいいいいイイいいい！」
「な、夏人くん痛いの？ 大丈夫！？ 戒名は何がいい？」
震えながら変な声を上げる夏人の所に、赤城村議が沼畑村議を連れて来ました。
「ホッホッホ、若い者はいいですのう……」
「よくないいいイイイイイイ！」
悶える夏人を、早苗・野球部長・赤城村議の３人で押さえ、沼端村議が神通力らしきもので治療を開始しました。
「南無妙法蓮華経……痛みが段々消えて来〜る、消えて来〜る……」
沼畑村議が念仏を唱えながら患部に手を掲げると、不可思議な事に夏人の痛みが和らぎ始めました。
「南無妙法蓮華経……血小板が急速に集まって血が止ま〜る、血が止ま〜る……」
足と額からあれほどダラダラと出ていたピタリと血が止まりました。
「と、止まった……」
悶えていた夏人も、絶大な効果に驚いて今は大人しく術を受けています。
「南無妙法蓮華経……組織が猛烈に細胞分裂して復元す〜る、復元す〜る……
南無妙法蓮華経……逝教新聞を購読したくな〜る、購読したくな〜る……
南無妙法蓮華経……皮膚が深くから新陳代謝して傷が消え〜る、傷が消え〜る……」
「あ、ちょっと今何か混ぜたでしょ！？」
「南無妙法蓮華経……ダイシャーク菩薩に帰依したくな〜る、帰依したくな〜る……」
「ああっもういいからっ！ 放してっ！ 治りましたからああ！」
Cパートに続く