魔女っ娘妖精物語 あっぷるマリィ
 第4話「○○年目の……」
   原案:九条組  小説化:蓬@九条組

 夜も明けきらぬ曙の頃、ミツマタに起こされて自宅のリンゴ畑に連れ出された早苗は、初めてリンゴ泥棒をその目で見ました。
 それは人間でも、ミツマタの様に身近な生物から派生した異常生物でもないようでした。最初は、水銀の様な金属色の水溜りが曙光を赤く反射して地面に広がっているだけでしたが、それはゆるゆると音もなく形を変え、直径50cm位の球体になったかと思うと、更に縦に伸び、枝分かれし、概ね人間の様な大きさと形になりました。しかし、色は艶やかな銀色のままですし、顔も指も無く極めて大雑把なディテールは原始人の粘土作品程度。表面も水面の様に波打っていて落ち着かず、手足や胴も伸び縮みを繰り返しており、人間の形を模倣しようと試みている様でした。
「何、あれ?」
「拙者も初めて見るで御座る。金物が動きよるとは……」
 金属体は母屋の陰から様子を伺っている早苗とミツマタには気付いていないようで、少しずつ形を変えながら、うねうねうねうねしていましたが、やがて腕と思われる突起がニューと伸び、先端がY字状に二股に分れたかと思うと、袋掛けされたままのリンゴの実を掴みました。
「ム、彼奴こそリンゴ盗人に間違い無しで御座る。参る」
 ミツマタはそう言うと、刀を両手で正面に構えて地面を強く蹴りました。ミツマタは一足飛びで金属体の懐に飛び込み、伸ばした腕を斬り下げました。
 金属同士が衝突するギキンという音が響き、金属体の腕は切断されました。しかしその切断面から、白く冷たい気体が凄まじい勢いで噴き出して来ました。
 ブジュゴゴゴゴーーーーーーーーーーーーーー……
「ムオオ!」
「ミツマタ?」
 それは、斬られた腕側の断面からも、胴体側の断面からも激しく噴出し、その勢いで腕の方はペットボトルロケットの様に飛んで行ってしまいました。胴体も噴出圧に耐えかねるのか、姿勢が傾き斜めになっていましたが、すぐに断面周囲の表皮金属が傷を治す様に伸びて穴を塞ぎ、気体の噴出は止まりました。
 辺り一面を真っ白にした気体は、噴出が止まるとすぐに雲散霧消しました。
「ああっ、ミツマタがエスキモーに!」
 晴れ上がった視界でマリィが見たのは、凍結して動けなくなり霜まで付いたミツマタでした。
 金属体は、しばらくうねうねした後、失った腕の代わりに新たな腕が生え始めました。その代わり、少しずつ胴体の方が縮んで行きます。
 腕を再生してるのを見て、狙うなら今だと思ったマリィは、ステッキを振りかざして飛び掛りました。
「せやあっ!!」
 袈裟懸けに振るったステッキは、金属体に激突すると火花を散らしながら上半身を抉り潰しました。ほんの一瞬だけ傷口から液体がゴポリと溢れ出すのが見えましたが、すぐに冷たいガスが先程の数倍の勢いで噴出します。マリィは素早く後に飛び退いて直撃を逃れました。
 上半身を失い、腕を斬られた時よりも遥かに多い量のガスが噴出しましたが、金属体は尚も傷穴を塞ぎました。下半身だけで地面に立ち、うねうねしています。
「ま、まだ生きてる……」
 マリィが怯んでいると、金属体は力が抜けた様に形を失い、地面にわだかまる水溜りに戻ってしまいました。そこから突起が、ぴちょんと水飛沫の様に真上に跳ね上がりました。針の様に鋭く細い突起は、全く無音のままマリィの顔の高さまで伸びると、そこで90度方向転換し急加速。マリィの眉間を狙って飛来します。
「!」
 咄嗟にマリィは首だけを動かして避け、擦れ違いざまに針をステッキで叩き折りました。
 プシュシシ……
 今度も傷口からガスが噴出しましたが、断面積が非常に小さい為か一瞬で塞がりました。
「本体を叩かなきゃ!」
 針への攻撃が余り利いている様に見えなかったので、マリィは針の根元である水溜りに駆け寄りステッキを振り下ろしました。しかし、その水面から他の針が自分に向かって3本同時に射出されつつあるが見えました。
(今からじゃ避け切れない!)
 3本のうち1本はステッキに当たり折れ、1本は肩を掠めて行きましたが、最後の1本は重いステッキを半ば以上振り下ろしつつあり体勢の急変更が出来ないマリィには回避困難な軌道を描いていました。しかし鳩尾に突き刺さるかに見えたそれは、
「ホオオ!」
ミツマタの声が聞こえた瞬間、刺さる寸前でカクリと根元から折れ、地面に力無く落下して行きました。
 次の瞬間、マリィのステッキが水溜りを叩き潰しました。ステッキは摩擦熱で自身と削れ散った金属粉塵を燃え上がらせ、水溜りは冷たく白いガスを強烈に撒き散らします。後方にマリィが飛び退いて十数秒、ガスが消えた後に残っていたのは、動かなくなった金属の残骸でした。
「面妖な……。此は一体何者で御座ろうかの」
「た、助かった〜」
 ガスが消え視界が晴れた時、残骸の向こうには、すんでの所で針を切断したミツマタが立っていました。気力で強烈に脂肪を燃焼させ短時間で凍結状態から回復したミツマタは、体に付いていた霜が溶けてずぶ濡れになっていました。
 辺りを見回すと、最初にミツマタが切り落とした腕や、マリィが抉り取った上半身、折れた針なども落ちていました。いずれも中身が空の硬い金属の殻となっていました。どうやらリンゴ泥棒は、表皮が金属、中は液化ガスで出来ており、中は漏れ出して常温常圧に晒されると瞬時に気化する様でした。不可解な事に、生きている内は表皮は水銀の様に滑らかに動くのに、切り落とされたり死骸になると硬化し動かなくなるのでした。

 ジリリリリリリリリ…… ジリリリリリリリリ……
 夕食が終わった頃、早苗の家の黒電話が鳴りました。林檎ヶ丘村では未だに黒電話がデファクトスタンダードです。
「はいもしもし白林です。あ、皆川おばさん?」
 電話は、東京に住む親戚のおばさんからでした。おばさんは早苗の父の従姉であり、かつて林檎ヶ丘村の隣町に住んでいたおばさん夫婦は、息子の夏人を連れて早苗の家に頻繁に遊びに来ていました。
「お父さん? うん、帰って来ない」
 夏人は5歳年上で、早苗にとっては親友以上の、兄の様な存在でした。早苗の2歳上の姉は少し風変わりで、殆ど人と口を利く事が無かった事もあり、早苗は夏人の方を本当の兄の様に慕って育ちました。
「お婆ちゃん? えー、いやその……」
 しかし3年前、おじさんの転勤の為に一家は東京へと引っ越す事になってしまいました。早苗は大いに悲しみ、自分も東京について行くのだと言ってききませんでしたが、所詮それは叶わぬ小学生のわがままでした。
「山に。大自然に……」
 早苗が東京を絶対神聖視する様になったのは、その頃から始まった事でした。
「え? 夏人くんがこっちの大学に? 行く! 1年何組?」

「早苗殿、どうされたで御座るか?」
 電話が終わると、台所で食器を洗っていたミツマタが居間に戻って来ました。ミツマタは居候する様になって以来、農作業と家事の一切をこなしてくれていました。但し、他人に見られる訳には行かないので買い物だけは早苗が行っています。
「夏人くんが、近くの大学に入学して、こっちに戻って来てるんだって!」
「夏人?」
「あ、私の再従兄はとこね。しかも寮住まいだから卒業までずっとだって」
 早苗は悦びの余り、あっぷるマリィに変身してステッキを振り回していました。ステッキは箪笥や照明に衝突しそうになりながらも、精妙な力加減により紙一重の所を通過していました。
(出来るで御座る。しかし今一つ速さが足りぬ……)

 翌日の放課後、早苗は夏人に会いに2つ隣りの町の大学を訪ねて行きました。
 時はバブル。世の大学生達の多くは勉学もそこそこにアルバイトと豪奢な遊びに耽り、海外旅行を楽しむ者あり、高級車でブイブイ言わす者ありと、一炊の夢の様な上昇感覚に包まれていました。ここは地方の農大なので、その時代の平均よりも大分地味な校風なのでしたが、それでも早苗の目には垢抜けて見えていました。擦れ違う大学生達を眩しそうに見る眼は、陸に水揚げされ初めて太陽を見る深海魚の様でした。
「誰も割烹着で歩いてない! 誰も泥だらけの軽トラに乗ってない! 誰も、誰も農狂の帽子をかぶってない! 凄い! 凄いよおぉ!!」
 東京のナウさはこれ以上なのだろうか、東京で過ごした夏人のナウさはどれ程の物なのだろうかと思いを巡らしつつ、早苗は夏人の居るという自治会室に向いました。昨夜の電話で皆川おばさんから、小中学校と違い大学にはクラスの枠と固定された教室が無い事と、夏人は自治会に所属しているので自治会室に行けば会える事を教わっていました。
「自治会室……ここかな」
 その部屋は、共通棟2階の片隅にありました。中から漏れて来る話し声から、何人か居る様です。
「こんにち……」
 早苗が扉を開けると、締め切られた室内から、煙草臭とコーヒー臭とカップ麺臭と男臭と灯油臭を帯びて湿った空気が、もわ〜と出て来ました。職員室の臭いとも父親の臭いとも似て非なる、慣れない大人の臭気に早苗の動きが一瞬止まりました。
「……わー…………」
 中に居たのは男ばかり6人ほど。今時の大学生の割りには、風体も雰囲気もパッとしない連中である事は、早苗にも何となく分かりました。
 机上や壁際の棚には、難しそうな分厚い本、灰皿、食べ終えたカップ麺の容器、角材、ヘルメット、タオル、マスク、サングラス等、早苗の中学校の生徒会室には無い物ばかりが置いてあります。壁には、プロレ何とかだの、革何とか派だの、自己批判だの何だの、意味の分からない単語ばかりの印刷物が多数貼ってあります。中学校の生徒会室とは根本的に性質が違う事がひしひしと伝わって来ます。その部屋は、ピュアかつ鬱屈した、奇妙な気迫を帯びていました。
「誰だい? 大学生じゃあ、ないようだね?」
 ぼうっとしていた早苗は、リーダーらしき眼鏡の学生の声で我に返りました。
「あ、あの、皆川夏人さんいます、か……?」
 場の気迫に気圧されながら早苗が必死で最後まで言葉を搾り出すと、部屋の一番奥で赤い灯油ポリタンクをいじっていた男がはっと振り向きました。
「あ、もしかして早苗ちゃんかい?」
「夏人……くん?」
 早苗が最後に見た夏人は15歳でした。それから3年以上の時が経ち、夏人の面立ちは大分大人びていましたが、それでもそこから感じられる雰囲気は昔の夏人のままでした。
「あ、皆川の知り合いかい?」
「ええ、俺の親戚の子です」
 3年ぶりに見る懐かしい顔に、早苗はようやく安堵しました。

 早苗が自治会室の雰囲気に戸惑っているのを察し、夏人は早苗を連れて学食に移動しました。
 夏人の白いTシャツには、黒文字で「世界同時革命」と力強くプリントされていました。字の輪郭が滲んでいるので恐らくは手作りです。因みに早苗は普段通り、整備工みたいに全身ポケットだらけの赤い農作業着を着ていました。
「凄い広いね。ここで給食食べるの?」
「いや、ここは食堂だよ。そうか、早苗ちゃん中学校じゃ、まだ給食なんだね」
 林檎ヶ丘村には小・中学校が1校ずつあるのみで、大学どころか高校も存在しません。それ故、高校生や大学生の生活と言う物を、早苗は全く知りませんでした。
「食堂? お金払うの?」
「そうだよ。給食と違って、お金を払って自分で好きな物を食べるんだよ」
「じゃあ、学校にお金を持って来るの?」
「そりゃ、そうだよ。じゃなきゃ買えないしね」
「お金! 学校にお金を!」
 小中学校では生徒が学校に現金を持って来る事は禁忌であり、破れば制裁が課されるのが常でした。早苗も、校長先生に全身の関節を外される生徒を数多く見て来ました。学校に現金を持ち込むのが許されるのは、教員や保護者等の大人だけです。
「夏人さん、オトナ……」
 早苗は、驚きを隠し切れず泡を吹いていました。
「ああそうだ、座ってるだけじゃ何だし、何か食べようか?」
「え? 夕方4時なのにやってるの?」
「昼前から夜までずっと開いてるよ」
「ずっとって、お昼以外も? 授業中も?」
「そうだよ。授業を入れてない時間に食べても良いし、まあ授業サボって食べてる奴も居るなあ」
「じゅ、授業のある時に食べるの!!」
 小中学校では給食以外で勝手に飲食するのは禁忌であり、破れば制裁が課されるのが常でした。早苗も、校長先生に校舎裏の銀杏の木に吊るされる生徒を数多く見て来ました。学校で給食以外の任意の飲食が許されるのは、教員や保護者等の大人だけです。
「夏人さん、オトナ……」
 早苗は、衝撃の余り全身をビクリビクリと痙攣させていました。
「何がいい? この時間にラーメンってのも変だし……おやつになりそうなのは菓子パンくらいかな」
 壁のメニュー一覧と、食堂の端にある売店の方を眺めながら夏人が言いました。
「ラーメン!? 菓子パン!? そ、そんなのが毎日あるの?」
「メニューにあるからね、そりゃもちろん毎日あるよ」
「ひぃ、ラ、ラーメンが!! 菓子パンが! いつでも!!」
 小中学校の給食においては、月に1、2日だけある麺と甘いパンの日は、特別で神聖な日です。その様なハレの日のメニューが、学内でいつでも任意に食べられる事は、早苗の常識を根底から覆しました。
「まあ、中学校と比べると大分違うかな。高校になれば大抵学食もあるんだけどね」
「高校……夏人くんの東京の高校も、こうだったの?」
「ああ、学食は何処もこんなもんだよ」
「大学…………東京……高校…………凄いオトナ………………」
 早苗は、カルチャーショックで白目を剥いていました。

 その後も他愛の無い会話が続き、日の暮れかかる頃になると早苗は自宅に、夏人は寮へと帰りました。
 その夜、早苗は寝室で昼間の事をぽつりぽつりと語りました。
「夏人くん、東京に行っていたのにナウくなってなかったよ……」
「左様に御座るか」
 ミツマタの姿は早苗の視界にありませんでしたが、返事は箪笥の上から聞こえて来ました。ミツマタは、いつもそこで寝ていました。
「田舎っぽいって意味じゃあないんだけど、うーん、何て言うんだろう……」
「ふむ」
「ナウくなってはいなかったけど、でも凄いオトナになってた……」
「そうで御座るか」
「学校にお金を持って来て、パンとかラーメンとか買って食べるの。夏人くん……オトナ……」
「ほう」
 ミツマタは、早苗の話の内容に余り重要性を感じませんでしたが、律儀に相槌を打っていました。
「あと、それとね、眼を離したら、今にも手の届かない所まで飛んでっちゃいそうな……不安な感じ」
「うむ」
 早苗は夏人の眼を思い出していました。昔と同じ穏やかな瞳は、しかし穏やかさと同時に、揺るぎ無い信念をたたえていました。力強く信念を抱く瞳。しかしそれ故に危うさを孕んだ瞳。
 夏人は雰囲気も話し方も昔と余り変わっていませんでしたが、会話中に時折、大学や社会・政治に対する批判を口にする時、瞳は虚空の彼方を睨み据え、怖い程のエネルギーを感じさせるのでした。早苗には、夏人の社会批判・政治批判の内容は理解出来ませんでしたが、それを語る時の夏人の眼が余りに印象的で、怖いのか頼もしいのか、どちらとも分からないまま脳裏に焼き付いていました。
「ねぇ、東京って、何なんだろ」
「拙者、以前東京に出向いた事があるで御座る。奥多摩の米盗人を成敗した折で御座った」
「え、本当? どうたった?」
「東京は荒れて御座った。若人達が世の在り方を論じ、群れを成し、兜(ヘルメット)を被り、棒を振りかざし……」
 ミツマタの話は20年程も過去のものでした。しかし、社会構造変化の緩やかな江戸時代に生まれ、更に150年余りを生きたミツマタは、現代社会の変化の急激さに理解も関心も無いため、とうに過ぎ去った昔の話であるとは付け加えずに語り続けるのでした。
「燃える瓶を投げ、砦に篭り、城(国会)を取り囲んで御座った」
「え、それって……」
 早苗は、昼間自治会室で見たヘルメットや棒、灯油や瓶を思い出しました。
「そっか……東京はそうなんだ……。あれが、東京のナウなスタイルなんだ……」

 1960年代に日本各地の大学で開花し、団塊の世代が大学生であった1960年代末に一つの山場を迎えるとともに、やがて一瞬の徒花の様に儚く沈静化して行った学生運動。
 それから20年。団塊の世代は今や、体制を否定して戦った者も含めて資本主義社会の只中で歯車として猛烈に回転しています。
 当時の学生運動は最早過去の歴史になりつつあり、当時を知らない今の大学生達はバブルの中で青春を謳歌していました。
 皆川夏人――20年遅く生まれてしまった革命戦士でありました。


 第5話に続く