魔女っ娘妖精物語 あっぷるマリィ
 第2話「ヒゲと呪文」
   原案:九条組  小説化:蓬@九条組

 その後、早苗は異常猫を立て看板の下半分で67回打ち据え、68撃目を振り下ろした瞬間、
「見事なり!」
という異常猫の朗々たる声がして、立て看板に銀光がビャビャビャビャっと縦横無尽に走りました。看板は銀光の軌跡に沿って切断されバラバラになり、銀光は不可視の衝撃波と化して早苗の額を直撃。衝撃波はビダアと額に一瞬貼り付いたかと思うと、ズヴォッと勢い良く頭を貫通して行きました。その縦横の銀光は、良く見ると「農」の字を左右反転した形になっていたのでしたが、気絶してしまった早苗は気付きませんでした。

 再び意識を取り戻した時、早苗は真っ暗な空間で野球をしていました。天と地も全てが漆黒の空間で、見えるのは自分自身と、離れた所に見えるピッチャーらしき人影のみ。気付いた時には何故か既に、早苗の手には棒が握られていて、一本足打法の構えを取っていました。
 十数メートル離れた所では、KKK団の頭巾と服を緑色にした様な衣服で全身を覆った人物がボールを投げようとしています。
 ヒュ
 ボールが放たれたのを見て、早苗は反射的に棒をスイングしました。
(軽すぎる?)
 その異様に軽い手応えに、早苗は覚醒後初めておかしいと思いました。
(ネギ!?)
 棒はバットではなくネギでした。そしてボールは
(夏みかん!)
 早苗のスイングは飛来する夏みかんを的確にとらえましたが、硬度で劣るネギは一方的にへし折れ、夏みかんは早苗の背後へと飛んで行きました。
(ここはどこ……? もしかして東京?)
 早苗に、正常な思考がようやく戻りつつありました。しかし、深く考え込む余裕はありませんでした。多数の気配と人影が早苗を取り囲む形で、草陰から蛙がピョコンと飛び出すように突如出現したのです。暗くて良く見えませんが10人くらいのようで、いずれもピッチャーと同じ衣服を着ていましたが、身長が50cmから3m程度までと、不自然なまでに個体差の大きい集団でした。
「農!」
 集団は一斉に叫ぶと、何処からかバっと取り出したネギを高く掲げました。
「農!」
「農農農!」
 集団はそう叫びながら、ネギで早苗を打ち据え始めました。ネギだけに痛くはありませんが、事態の異常さだけは明らかでした。
「やめてやめて! 嫌嫌嫌ここ絶対東京じゃないいい!!」
「農! 農! 農!」
「農農農農! 農!」
 集団はネギがボロボロになるまで1分ほど早苗を打ち続けると、スっと一瞬で離れて行き姿も気配も消えてしまいました。
「……?」
 身を屈めて防御していた早苗は周囲を見回しましたが、もはやピッチャー以外誰も見えません。ピッチャーは再び何かを手に持ち、投げようとしています。どうして良いか分からない早苗の頭に、コツンと何かが当たり足元に落ちました。
「人参?」
 何故そんな物が上から落ちてくるのか不明ですが、早苗は人参を拾うと流される様に一本足打法の構えを取りました。
 ヒュン
 人参はバットとしては短すぎ、握る長さを差し引くと10cmも余りませんでしたが、早苗の動体視力はそれでも飛来する球体にぶち当てる事に成功しました。
 ブシャッ
「トマトだ!」
 柔らかい完熟トマトは、水飛沫を撒き散らしながら潰れました。人参は無傷です。
「農!」
 今度は、ピッチャーの方を取り囲む様に先程の集団がヒョコリと現れました。集団は、完熟トマトを至近距離からピッチャーに投げ付けます。
「農! 農農!」
「農!」
 屈んで防御するピッチャーにぶち当てられ、完熟トマトは惜しげもなくブシャブシャと潰れて行きます。ピッチャーが全身トマト汁まみれになると、集団は再び姿を隠しました。
 濡れて重くなった服で動き難そうにピッチャーが立ち上がると、早苗の足元にボトリとまた何かが落ちて来ました。拾い上げて見るとカボチャでした。ピッチャーの方を見ると、何か棒状の物を持っています。
「今度は私が投げる番ってことなのかな……」
 早苗は、右手で思い切り強くカボチャを握ると、足の爪先から手の指先までを一本の強靭なムチの様に躍動させて振り抜き、カボチャを投げ付けました。
 カボチャは信じ難い速度で先程までピッチャーだったバッターに迫ります。最初、バッターは普通の構えをしていたものの、凶悪な球速とデッドボール必至の弾道に、とっさに棒を顔の前に構えて防御します。しかし、カボチャはヤマイモのバットを容易くへし折るとバッターの顔面を直撃しました。
「やった! デッドボールだ!」
 林檎ヶ丘村では、野球でデッドボールを出すとピッチャー側のチームの方が1点得るというローカルルールが存在し、近隣市町村の野球チームからは「林檎ヶ丘村恐るべし」と畏怖されていました。
 カボチャで顔面に直撃されたバッターは脳震盪でも起こしたのか、仰向けに倒れてしまいました。そこにまた、例の集団が手にヤマイモを持って現れ、倒れているバッターをヤマイモで打ち始めましたが、ヤマイモはどれも一発で折れてしまいます。
 全てのヤマイモが折れてしまうと、何かそわそわして落ち着かない様子だった一人がスリ鉢とスリコギを取り出し、ヤマイモをすり下ろすと、バッターの頭巾を少しめくり、服の首元からトロロを流し込みました。
 その時、早苗の目に一瞬だけ、バッターの鼻から喉にかけてが見えました。KKK団風の服の中には、異常猫と同じ様な普通じゃない存在が入っているのだと思っていた早苗の予想を裏切り、早苗よりも何歳か年下に見える人間の少女の様でした。色が白く、真っ暗な空間に肌がぼうっと浮かび上がる様でした。
「ヒィッ?」
 気絶していたバッターがトロロの冷たさに目を覚ましました。
「やめろ何をする冷た……」
 早苗は、この真っ暗な空間で初めて、「農!」以外の言葉を聞きました。
(人間の声だ……)
 この異様な状況で初めて触れる普通の人間の声、人間の顔に、早苗は少し親近感を覚えました。
「……か、かゆい! かゆいかゆい!」
 幼い少女がトロロを服の中に入れられてかゆがる様子に、集団の一部の者の特殊好奇心に火が付いてしまったようで、3人程がハヒハヒ言いながら更にトロロを量産し始めました。
(あの子も、私みたいに訳も分からずここに連れて来られたのかな……)
 早苗がそんな事を考えているのも束の間、
「やめええい!」
ゾワリと彼女の体の周囲からススの様な黒い物が噴出し、それに触れた者は皆、即座に倒れ伏してしまいました。
「農〜農!」
「農!」
 集団の半分程が倒れてしまいましたが、残った者達は倒れた者を分担して運びながら消えて行きました。

 今の光景に、早苗の心に発芽した安堵は、一瞬で儚く枯死していました。
(やっぱりあの子も普通じゃないんだ。あの猫と一緒だ。異常ヒトだ)
 しかし残念がっている暇はありませんでした。早苗の足元にはまた何かが落ちてきて、相手の方を見れば何かを投げようとしています。
 早苗には、この奇妙な競技の全容はさっぱり分かりませんでしたが、どうやら自分の農作物が壊れた方が負けらしいという勝敗基準だけは何となく分かりました。そして、与えられる農作物の硬さという自分の自由にならない要素で、殆ど勝敗が決まってしまうも同然であるという事も理解しました。
 早苗が裸眼で2.5を誇る眼力で相手の手の中の得物を凝視すると、赤いリンゴのようでした。
「品種シナノレッド、重さ328g、糖度14.32%、硬度きわめて頑強!」
 早苗はリンゴ農家の娘。幼い頃から祖母にリンゴの全てを叩き込まれていたので、遠目から見ただけで、そのリンゴのスペックを把握していました。それに対し、早苗の得物は――
「ヤ、ヤマイモ!?」
 リンゴvsヤマイモでは、ヤマイモの敗北は明らかです。早苗は、ヤマイモで負けた相手の有様を思い出し戦慄しました。ヤマイモで負ける訳には行かない、ヤマイモで負けるのだけは絶対に避けねばという強い思いが、早苗の動体視力と反射神経を限界以上に引き出しました。
 リンゴが投げられました。しかし、迫り来るリンゴに対し、早苗はバットを構える様な体勢はとらず、槍を投げる様に構えました。
 リンゴの全てを知り尽くしている祖母は、リンゴのある極小の一点を一突きする事により、どんな硬いリンゴをも指先一つで瞬時に粉微塵にする技を会得していました。その「砕点」と呼ばれる一点は、リンゴにより全く違う場所にあり、それを見抜く事こそ、リンゴの審美眼を極める事であると祖母は言っていました。早苗は未だその技を継承していませんでしたが、トロロ攻めを回避する為には、今この場でその技を成功させるしかないと確信しました。
「――そこだっ」
 早苗がヤマイモを投擲し、ヤマイモは錐揉みしながら空気をうねらせて突き進みます。空中でヤマイモの先端がリンゴに触れた瞬間、バァンと拳銃の発砲音の様な音と共に、リンゴだけが消滅していました。
「な、何とっ!?」
 人外と思しき対手すら驚愕の声を上げました。リンゴは一瞬にして砕けるに留まらず、水滴とすり下ろした様な果肉片と化し、音もなくあたりに降り注ぎます。リンゴを撃ち抜いたヤマイモは、全く減速せず軌道も変えず相手の額を直撃し、再び昏倒させるに至らしめました。
「できた……。おばあちゃん、私、砕点突きできたよ……」
 早苗が胸の前で手の平を組んで感慨に浸っていると、また集団が現れて倒れている対手にリンゴを投げ付け始めました。流石に痛いようで、昏倒していた彼女は目を覚ましすと膝を抱える様にしゃがんで防御します。リンゴが人体を打つドムッドムッというくぐもった音がする中、先程と同じ者が早苗の投げたヤマイモを拾い上げてすり下ろしていました。すり終えると彼女の後に回り込み、頭巾と服の隙間を引っ張って背中にトロロを流し込みました。
「ヒッヒィィ!?」
 まさか今トロロが来るとは思っていなかった様で、彼女は驚いて立ち上がりました。KKK団風のローブのすそから、トロロがボトボト落ちて来ます。
「おのれ一度ならず二度までも……」
 彼女が背中の異物感とかゆさに身悶えしながら怒りの声を上げると、また黒いススの様な半透明の物が次々に噴き出しました。無数の半透明の塊には、目と口の様に見える3つの穴が大雑把に開いており、ムンクの「叫び」かよくある心霊写真の怨霊の様な印象です。それが彼女の足元や背後から出現しては周囲を漂い、数が20程にまで増えると、一斉に周囲の集団に踊りかかりました。怨霊は彼女を中心に竜巻の様に円周運動をしながら集団を押し包み、瞬く間に全員が倒れて動かなくなりました。
(うわあ、あの猫より凄い)
 早苗は驚いていましたが、異常猫の時と違い自分に矛先が向いていないので、逃げ惑うでもなく、ただ呆然とすることしかありませんでした。
 その時、勢い余って跳んできた怨霊の一つが、早苗の肩を掠めました。
「あっ」
 その瞬間、物凄い脱力感と疲労感と倦怠感が早苗を襲いました。全身の筋肉がガクガクと震え、意識は混濁し、視界は貧血になったかの様に異様な色彩に変化します。フルマラソンと400ml献血とスクワット1000回を一気にこなしても、ここまで精根尽き果てる事はないでしょう。
「ぁぁ……ぁ…………がっ…………」
 全校朝会の校長先生の話がどんなに長くても、早苗以外の全生徒・全教職員が保健室送りになっても、校長先生自身が血反吐を吐いて倒れる最後まで、決して倒れる事のなかった早苗が、この時ばかりはガクリと地に膝をつき、そのまま意識を失うと地面に崩れ落ちて行きました。

 ツーーーーーーーーーーーーーーンとする鼻腔への刺激で、早苗は目を覚ましました。どうやって戻ったのか、場所はあの真っ暗な空間ではななく、早苗が立て看板で異常猫と交戦した山道でした。
「ぶごおっ!」
 口・鼻・喉・肺がワサビの刺激臭で一杯になっています。鼻からは鼻水が、目からは涙がとめどなく流れ、息を吸う度に気管と肺がワサビ臭に突き刺され悲鳴を上げます。しかし怨霊に触れた時の脱力感も疲労感も殆ど回復していないので、のた打ち回る事もできず、少しでも肺を刺激しない様にゆっくり息をする事しかできませんでした。
「おお、目覚めたで御座るか」
 傍らにあの異常猫が正座していて、手にはわさび漬けのビンと箸を握っています。どうやら、鼻と口にわさび漬けを練り込まれて目が覚めたようです。しかし、異常猫も肩で息をしている上に全身がガクガク震えており非常に消耗した様子で、早苗を追い回していた時の覇気はありませんでした。怨霊に薙ぎ倒された集団の中に居たのかも知れません。
「ぬぐぅ……」
 異常猫は座っているのも辛い様で、手にした箸とビンがボロリと地面に落ちたかと思うと、仰向けに倒れてしまいました。
 早苗の方も起き上がる事すら出来ず、首だけを曲げて異常猫の方を見ています。意識も混濁したままで、現在の状況を把握しようという思考すら生まれませんでした。
 異常猫は右手をヒゲに沿え、一本引き抜こうとしましたが力が入らず抜けません。やむなく両手に今ある力全てを込めてやっと抜くと、それは50cm程の赤い棒の先端に赤いリンゴが付いた、奇妙なステッキに変化しました。異常猫はそれを早苗に投げてよこします。
「何これ……」
 早苗は、右手のすぐそばに転がって来たそれを意味も分からず掴みます。ステッキと地面の間に指をねじ込むのにかなりの握力を要しましたが、それが疲労の為なのか、ステッキが重過ぎる為なのかは分かりませんでした。
「と、唱えよ……!」
 そして早苗は、朦朧とする意識の中、躊躇する事も、その意味を考える事もなく、異常猫の指示通りに呪文を口にしました。
「ゲバルト……ゲバ棒……ゲバリスタ…………農狂戦士になぁ〜〜……ウゴホゴホっ……れゴホっ……」


 第3話に続く